ドラマの「ブラック校則」が最終回を迎えてしまい、とうとう新しい創楽と中弥に会えなくなってしまいました。
最終回はこれまでに散りばめていた伏線を回収して、これからも続いていく日常と今までとは少し違う明日を予感させるようなラストシーン。
勝利くんがいろんなところで「余白がある作品」と言っていたんですが、最終回の最後の最後なんてまさにその真骨頂みたいなシーンで、この先に続く言葉はご自由にご想像くださいって柔らかな突き放し方をするんですよね、この作品。
ドラマ最終話、明日の深夜まで
— 『ブラック校則』公式 映画11.1👊ドラマ&Hulu10.14 (@bla_kou2019) 2019年12月1日
TVer、日テレTADAで観れます‼️
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創楽というキャラクターをどう捉えているかで想像する言葉も変わると思うんですが、個人的には創楽くんの思考回路って割と、いやかなり斜め上なので、もしかしてまた希央に"TikTok見てるお父さんみたいな顔"させたんじゃないかと、いらぬ心配をしております。
ネットでは映画とドラマとHuluの時系列はどーなってんだと、黒板の日付などからさまざまな考察が行われていたんですが、これだっていう決定打がなかったんですよね。
しかも監督が
もしかして、中弥というのは創楽の妄想上の存在で、本当は実在しないのでは?という仮説に辿り着いた。ファイトクラブのように。#ブラック校則
— 菅原伸太郎 (@sugawarashinta) 2019年11月2日
こんなこと言うもんだから、あれは創楽の妄想?、それともこっちが創楽の妄想?、なんなら全部創楽の妄想なんじゃないか説まで出てきてました。
ティーチインイベントで河野Pが中弥は実在しているし、妄想説を後押しした創楽と中弥の受験番号の入れ替わりは単なるミスと明言されたとのことで、物語ではすべてが起こったことと考えてよさそうでなんだかホッとしたです。
で、映画ドラマHuluの時系列は実際のところどうなんでしょかね。
受験番号の入れ替わりがミスなら時系列もそんな厳密ではないんじゃないかとも思ったりしますが、最終回の伏線回収の見事さをみると、そういう大雑把さのある企画と脚本ではないような気がします。
これはもう河野Pなり脚本の此元さんなりが種明かしをしてくれないと決着はつかないですけど、個人的には3つの媒体で展開されたストーリーは同一の世界線にはないんじゃないかなと今のところ思っています。
映画は映画で、ドラマはドラマ、HuluはHuluでそれぞれの時間が流れていて完結している独立した世界。
なんだけど、いくつかの点と点では繋がっていて共有している部分や影響しあってる部分もある、そんなゆるっとしたまとまりなのかなあと。
円盤化の際にはそこらへんの解説も入れてくれるといいのだけど。
いや、実は3つとも同じ時間軸の物語で、全体としてはこういう流れだったんですよ、というネタバラシでももちろんOK!!
この3つの「ブラック校則」の繋がってないような繋がってるような絶妙な距離感は、此元さんが漫画家の傍ら脚本家としてもこれからも活動されていくのなら、引っ張りだこになるんじゃないかと思える見事さ。創楽と中弥はじめとするキャラクター1人1人はもちろん、登場人物同士の関係性の描き方も巧みだし、絵を描いても描かなくても凄腕のストーリーテラーってことなんだろうけど。
脚本家として2作目(映画と地上波ドラマは初)というタイミングじゃなけりゃ、ジャニーズとはご縁が無かった方なのではないかとも思ったりもするので、勝利くんのファンとしてはありがたい限りですよほんとに。
映画の公開がそろそろ終わりかかっているので、最後にもう1回大きいスクリーンで見たいけど、会社員には難しい時間しかやってない。さてどうしよう。